お知らせ 本願寺 眞無量院からのお知らせです。

本願寺准連枝 機法院殿(大谷真実様)「連載 自灯明法灯明(第1回)(更新日 2017/05/01)

 この度、平成29年4月10日本山に於きまして得度致しました。

 これから、本願寺准連枝として皆様にわかりやすく仏教のお話を毎月連載してお伝えできればと思います。

と言いましても、実は私、幼稚園から大学までずっとキリスト教の学校に通っていました。なので、正直なことを申しますと仏教のことは、結婚するまで全く興味もありませんでしたし、何も知りませんでした。

 そんな私が、仏教に関心を持ち、仏道を歩もうと決意したのは主人である霊光院殿(大谷実成)のお陰です。仏教の教えをわかりやすく教えてくれ、私の日々の悩みを楽にしてもらいました。私も主人のように、悩みを抱えている多くの方のお役に立ちたい、仏教のことを知ってもらいたいという思いから、得度を志願し、本願寺法主大谷暢順台下からお許しをいただきました。

 今回は、得度の際に御法主台下から下附賜った、私の僧侶としての名前「院号法名」の「院号」についてお伝えさせていただきます。 私の院号は「機法院(きほういん)」と申します。機会の“機”と仏法の“法”で機法院。ちなみに法名が「信惠(しんえ)」ですので、仏法の機会に恵まれるという意味かなと勝手に解釈していました。

 しかし“機法一体(きほういったい)”という仏教用語があるようでして、「機法院」はこの“機法一体”から頂いたことを御法主台下から教えていただきました。 “機”というのは、裟婆世界(現世)で生きるものを指します。私たち人間はもちろんですが、命あるもの全てつまり衆生を指します。さらに“機”の解釈を発展させると、衆生が阿弥陀仏を信じすべてお任せする事となります。

 “法”というのは、阿弥陀仏のことを言います。阿弥陀仏は衆生を受け入れて救ってくださる存在なので、この救いのはたらきが“法”とも言えるのです。機法一体とは、衆生の信心である“機”=南無と“法”=阿弥陀仏が一つとなる。つまり、南無阿弥陀仏を示します。南無阿弥陀仏とは、「救いのはたらき(法)にまかせる(機)」という信心のすがたを意味しています。また、阿弥陀仏の救いのはたらきがあるからこそ、私たちは信心を得ることができます。

 そのように考えると、南無阿弥陀仏という言葉六字全体が、阿弥陀仏が助けてくださる“法”(たすくる法)であり、衆生の信心である“機”(たのむ信)となるのです。つまり、阿弥陀仏の「すべての衆生を救う」という願いが、私たちの阿弥陀仏を信じる心と一体となるのです。阿弥陀仏を信じて南無阿弥陀仏と唱えることで、お浄土の世界にいくことができる。他力の信心を恵まれることにより、私たちもお浄土の世界にいくことができ、阿弥陀仏になることができるのです。

 このような意味を持つ「機法院」という素晴らしい院号を下附賜り、有り難く思い、この仏縁にとても感謝しています。少しでも多くの方のお役に立てるよう、日々研鑽して参りますので、今後ともよろしくお願い致します。