お知らせ 本願寺 眞無量院からのお知らせです。

本願寺准連枝 機法院殿(大谷真実様)「連載 自灯明法灯明(第2回)(更新日 2017/07/01)

 私事ですが、5月25日に、第二子である次男を出産いたしました。3606gという大きな赤ちゃんで、産婦人科の先生をはじめ、助産婦さん、看護師さん、家族や友人の支えにより無事に出産することができました。二人目ですが、改めて人は一人では生きていけない、たくさんの人に助けられて生きていると感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。

 さて、今月からは、「正信偈」についてご紹介していきたいと思います。「正信偈」というと、法要の時に耳にするお経のことをイメージされる方が多いと思いますが、実はお経ではありません。お経とは、お釈迦様の御説法を記録したもので、「正信偈」は、親鸞聖人が信仰のよろこびを表された偈文(漢文によるうた)なのです。そして、「正信偈」は、「教行信証」という聖教の「行巻」の末尾に納められていて七言・百二十句で構成されています。

 今回はそんな「正信偈」の初めの二句、
“帰命無量寿如来 南無不可思議光”についてお話させていただきます。意味は、“無限の命を持つ如来に帰依し、不可思議な光を放つ如来に南無します”ということです。

 「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光」もどちらも同じようなことを言っていて、簡単に言うと、阿弥陀如来におまかせしますという信心を表明しているのです。

 “帰命”と“南無”は同じ意味で、帰依します、おまかせしますという意味です。

 阿弥陀如来は、常に救いの手を差し伸べて下さっている仏様で、はかることのできない(無量)いのち(寿命)をお持ちなので、“無量寿如来”とされます。“不可思議光”とは、はかることのできない(不可思議)光明(光)という意味です。

 どんな時も素晴らしい光で照らし、私たちを救ってくださっている阿弥陀如来。それはまるで母親のような存在に感じます。赤ちゃんはもちろん、子供は親に見守られているからこそ、安心して育っていく。赤ちゃんは泣けばミルクをもらえる、子供は寝るときに両親がそばにいてくれるから安心して寝られる。親が守ってくれる、助けてくれるという子供が親を信じる心は、私たちが阿弥陀如来を信じる心と似ていると感じました。

 もちろん、私には阿弥陀様のような慈悲は持つことはできませんが、二人の子供を見守り育てていきたいです。

東本願寺 第19世法主
乗如上人御染筆「正信偈」