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本願寺准連枝 機法院殿(大谷真実様)「連載 自灯明法灯明(第3回)(更新日 2017/08/01)

 京都では五山送り火も近づいており、本格的な暑さが続いております。

 私は、前回お伝えしましたが、二人目が産まれたばかりなので、家事と育児に追われる日々を過ごしております。忙しく自分の時間がない日々を過ごしていると、ついつい色々とストレスも溜まりイライラしてしまいます。ゆっくりとお風呂に入りたい、読書したい、お友達と話したいなど煩悩は尽きる事がありません。そんな中でも、私が実践していることは長男の寝かしつけで正信偈を詠うことです。5分ほどすると寝てくれることがほとんどですし、私も気持ちのリセットができて、イライラしていた気持ちが解消されるので一石二鳥です。

そんな正信偈の中に

一切善悪凡夫人(いっさいぜんまくぼんぶにん)
聞信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)
仏言広大勝解者(ぶつごんこうだいしょうげしゃ)
是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)

という四句があります。

 これは、『善人も悪人も皆、阿弥陀如来の本願を聞いて信ずるならば、お釈迦様は仏法を深くいただいている優れた人だと褒め称え、この信心の人は美しい白蓮華のようである』という意味です。今回はこの中の、【分陀利華】についてお話させていただきます。

本願寺司舎の池に咲く蓮の花

 【分陀利華】という文字を見るとちょっと難しそうに見えますが、実はこの漢字自体には意味がなく、音にだけ意味があります。詳しくいうと、インドの言語の一つであるサンスクリット語の「プンダリーカ」という言葉を中国大陸のお坊さんが聞いて漢字を当てはめたものが【分陀利華】なのです。

 では、そもそも「プンダリーカ」とは、どういう意味かというと、それには白い蓮の華という意味があります。仏教では、蓮の華はよく出てきます。仏像が手に持っていたり、蓮の華の上に座っていたり。では、なぜ仏教ではこんなに蓮の華を多用するのでしょうか?それには、ちゃんとした理由があります。

 蓮は、清水の流れる谷川や、水はけのよい土地では育たず、ドロドロとした泥沼の中で育ちます。そして、すーっと細い茎を伸ばし、水面に美しい大輪の華を咲かせるのです。なかでも白蓮華は、泥の色に一切染まることなく、美しい白い華を咲かせるため、最も高貴なものとされています。これは、まるで生死の世界で彷徨う我々のような衆生を、阿弥陀仏がお救い下さるさまのようです。私たちは煩悩にまみれているので、まるで泥沼の底に住んでいるようなものです。そんな泥沼の底にいる私たち凡夫も、信心を得れば、死後に極楽浄土に生まれかわり、美しい白蓮華のように尊い存在になれるということなのです。