お知らせ 本願寺 眞無量院からのお知らせです。

本願寺准連枝 機法院殿(大谷真実様)「連載 自灯明法灯明(第5回)(更新日 2017/11/01)

 先日衆議院総選挙があり、家族で投票に行きました。今回の選挙で《希望の党》が立ち上がり、小池氏の「排除」発言により、民進党の分裂・希望の党惨敗へとつながりました。

 都知事選では勢いがあった小池氏ですが、衆院選では失速してしまったようです。記者会見で小池氏は「私自身におごり、慢心があったのではないか」と発言されました。人間は誰しもが傲慢になってしまうということに改めて気づかされた選挙でした。

今回は、

弥陀仏本願念仏(みだぶほんがんねんぶ)
邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)
信楽受持甚以難(しんぎょうじゅじじんになん)
難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)

という正信偈の中にある四句を紹介させていただきます。

 これは『阿弥陀仏の本願による念仏の教えは、本願を信じず誤った見方をしたり、おごりたかぶる人には、本願を疑いなく信じることは難しい。これは、あらゆる難しい事柄の中でもっとも難しいことである』という意味です。

 【邪見】は間違った考え方【憍慢】はおごりたかぶることを意味します。つまり【邪見憍慢悪衆生】とは間違った考え方やおごりたかぶる私たちのことを指しているのです。自分はおごりたかぶっていないなど他人事のように思ってしまいますが、自分が正しいと人を非難したり、間違っていることにすら気づかないときもあるはずです。悪人と言われると、自分のことではなく、殺人犯や詐欺師などをイメージしてしまう。そんな私たちだからこそ、信心を得ることが難しいのです。信心とは努力して得られるわけではありません。

 信心とは気づきから得られると考えられます。【邪見憍慢悪衆生】とは私たちのことを指しているときちんと気づき自覚することが大切です。でも安心してください。阿弥陀如来はこんな私たちでもきちんと救ってくださるという誓いをされました。それが【本願】です。

 阿弥陀如来はすべてのいのちあるものを救おうという誓いをされています。この阿弥陀如来の誓いを信じ、安心しておまかせするのが信心です。