浄土真宗の御教え 本願寺 眞無量院の浄土真宗の御教えについて紹介いたします。

凡夫であるということ

凡夫という言葉は古く聖徳太子の十七条憲法に「ただひと」という言葉で登場します。聖徳太子といえば、日本に仏教を招き入れ、親鸞聖人が「和国の教主」と仰ぐ方ですが、そんな太子が自身を凡夫と仰せられたのです。

仏教とは「良いことをしなさい。悪いことはしてはいけません。」という教えです。しかし、人間に生まれたということは、他のいのちを頂かなければ、生きることができないということです。いうなれば生まれながらにして罪深い存在が人間です。これを宿業といいます。

また、たとえば殺人などは非常に悪いこととされますが、私たちは人に見えないことを理由に、心の中では都合の悪い者の存在が消えることを日常的に思っているのではないでしょうか。心の中であっても仏教では、殺人と同罪です。

また、いくら肉体が強くても知識に長けていても、いつまで続くか、たしかな保証はありません。私たちは日々の生活のなかで、罪を重ね続ける「一生造悪」の存在です。しかしながら、そうした姿というものは、光がない闇の中では、全く気が付かないものです。そうした我々の姿を照らす光こそ、本願であり、光が多いほど影が濃くなるように、我が身の現実を知らされ、凡夫という自覚の上に如来のはたらきが生き生きと展開していくのです。