浄土真宗の御教え 本願寺 眞無量院の浄土真宗の御教えについて紹介いたします。

親鸞聖人と念佛の教え

浄土真宗の御開山親鸞聖人は、戦や地震、飢饉や疫病が蔓延する平安時代の終わり(1173)に京都でお生まれになられ、不幸なことに、幼少のときに両親と死別されました。激動の世の中で成長された親鸞聖人は、幼くして諸行無常の理を知るとともに、皆が救われる道を求めたいという菩提心が、いつしか確かに芽生えていたのでした。

9歳になられた親鸞聖人は、出家をして求道者となるべく、夜分に天台宗青蓮院を訪ね、その門を叩きました。応対をされた青蓮院住持の慈鎮和尚は、「一晩よく考えた上で、明日改めてお出でなさい」とのお返事を下されましたが、親鸞聖人は、一首「明日有りと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と、明日とも知れぬいのち、諸行無常の理を詠まれます。慈鎮和尚は、わずか9歳の子供が詠まれたこの歌にいたく感じ入り、早速蝋燭の灯りの下で得度の儀を執行されたのでした。

僧侶として、比叡山に登られた親鸞聖人は、日夜厳しい修行に励んでおりましたが、「自力でもって修行を重ねたその先に、果たして救いがあるのだろうか」という迷いがいつしか生まれ、9歳より20年間続けてこられた比叡山での修行を捨て、京の都の六角堂へと向かい、百日間の参籠をおこなわれました。参籠をはじめて95日目の夢中に、救世菩薩の化身たる聖徳太子が現れて東山吉水の法然上人を訪れるよう夢告を得て、「智慧第一」と称された法然上人の門を叩くのでした。

親鸞聖人は、百日間もの間、休むことなく法然上人のもとへ通い、ありとあらゆる疑問や不信を問いただしました。御聴聞を続けた親鸞聖人は、「弥陀の本願は、もとより凡夫を救うためにおこされたものであるから、信じてみ名を称えるばかりである」という法然上人の教えを聞き、本願念仏の教えこそが、諸行無常の世の中で皆が救われる道であるとさとられたのでした。 こうして親鸞聖人は、法然上人の弟子となり、阿弥陀仏とともに生きる新しい人生を踏み出されるのでした。