浄土真宗の御教え 本願寺 眞無量院の浄土真宗の御教えについて紹介いたします。

覚如上人と本願寺開創

親鸞聖人の御入滅後、末娘の覚信尼公が親鸞聖人の御遺骨を京都の大谷の地に納め、親鸞聖人の影像を安置した六角堂(廟堂)を建てられます。これが大谷本廟です。建立された大谷本廟には、関東に遺してきた門弟をはじめとする、多くの参詣者が諸国から集まりました。覚信尼公は、親鸞聖人追慕の念と、本廟を護持しなければならないという強い思いから、自ら本廟を護持する「留守職」の任にあたり、自分の死後は子孫がこの任にあたるべきことをお示しになられました。

覚信尼公の強い願いは、やがて長子の覚恵法師に受け継がれ、その長子覚如上人へと継承されます。

覚如上人は大谷本廟を親鸞聖人の廟所(お墓)としてではなく、親鸞聖人がお示しになられた浄土真宗の御教えに出会う寺院としたいという強い願いがありました。覚如上人が、幕府や朝廷、諸寺院にはたらきかけ寺格化(1321)が認められ、「久遠実成阿弥陀本願寺」すなわち「本願寺」が誕生し、『御伝抄』『口伝抄』などの著述を通して本願寺教団の基礎なる宗義の確立と布教につとめられるのでした。 さて、覚如上人が留守式を勤める大谷本廟には、毎月親鸞聖人の御命日である28日に参詣される方がおられました。親鸞聖人の孫にあたる如信上人です。如信上人は、親鸞聖人より浄土真宗の御教えについて口伝にて講述を受けており、陸奥国大網の地にて教化に励んでおられました。覚如上人は、その如信上人より浄土真宗の御教えについて、同じく口伝にて講述を受けており、ここに親鸞聖人の法脈は如信上人を通して、覚如上人へと継承されるのでした。

覚如上人のもとで、親鸞聖人から覚信尼公、覚恵法師と受け継がれた血脈は、ここに親鸞聖人から如信上人と受け継がれた法脈と一つになりました(血法一如)。これより、本願寺では親鸞聖人の血脈と法脈を受け継がれた御歴代法主が、善知識として、私たちを信心獲得できるようにと導いて下さることになったのであります。